通院が悲しい。通院記録*芽生えた責任感とやりがい。

2016年07月22日

私が養護教諭にならないわけ。



私は今の職種を希望しているわけでもなく、
やりたくて始めたわけでもないのですが
今の仕事は7年?続いています。

本当は親は大学まで行かせたんだから、
資格がある、養護教諭として頑張ってほしいのかもしれません。。。

でも、私は養護教諭という理想像はそこまでなくて、
逆に保健の先生なのに助けてくれなかった。
親に内緒にしてほしいと言われたことも、(リスカとか)
命を守るためと、親に連絡をし、裏切られたりした。

私は今でも命にかかわるからと言われても納得しない。
死にたくてリスカしているわけではない。
深いリスカ、、命にかかわるようなリスカなんてしてない。
助けてほしい、生きたいの・・・っていう証なの。
別に保健室で処理してもらいたかったわけではない。
親に気付いてほしかったわけではない。
誰でもいいから、私の心の闇に気付いてほしかった。

それをぱっと裏切った当時の養護教諭・・・

もう名前もでてこないけど。



養護教諭はもっともっと心に寄り添えるはず。

だから、私が・・・・と
理想像も何もなく先生になろうと思った。

そして、二カ月間、教育実習、病院実習も終え、資格取得。

当時、この二カ月のために、
貯金をした私をほめてあげたい。
仕事もできず、貯金で生活するしかなかった。
それができた私をほめてあげたい。

そして、二カ月仕事を休ませてくれた会社には頭があがらない。
休みの日に手伝おうと会社に来れば、
先生になる実習も仕事のうちだよっと帰らされた。


その後、一年臨時教員として公立の学校で働いていましたが、
やはり理想像がないとダメだなと思った。

私みたいに親から十分な愛情をもらえなかった人もいるだろう。
でも、やはり目立つのは
親からの愛をもらえる子どもたちだった。

何かあれば子どもを守るために抗議の電話が来たり、
給食費は払わないくせに、子どもに携帯を持たせる親。
しんどかった・・・

あぁみんな愛されているんだなと思った。

もちろん悩んで自傷している子もたくさんいた。
でも、私も周りの先生との関係も大事だから、
自分も同じだったよなんて一切言えなかった。

周りの子どもからみたら
私もだめな教諭だったと思う。


その後、今の職種に戻りましたが、
ちょこちょこ修学旅行の引率をやっていた。

(養護教諭になりたい方、仕事は意外とたくさんあります。笑)

でも。。今は自分の通院を辞めてまで、
また教員に戻りたいと思わない。

今まで、色んなバイトをした。
飲食も水商売も、ティッシュ配りも、イベントコンパニオンも・・・
でも好きだからというわけではなく、
やはりお金のためだった。


今の仕事はやりがいもある。
苦手だけど好きな気持ちもある。。

この仕事をやりたいんだと思える私でありたい。

そして、また養護教諭になりたいと思う瞬間がきっとくる。
そのときは、今度こそ心に寄り添える先生になろう。





2016-07-08-14-25-21


夏だからさっぱりしたものばかり。

問い合わせはこちら

ブログランキングに参加させていただいています♪



 

 




sakurasaku1009 at 17:00│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
通院が悲しい。通院記録*芽生えた責任感とやりがい。