精神科通院の頻度一人では何もできない仕事だと伝えたい

2019年08月03日

季節を感じ生きる証をみつけて

私はよく季節が変わるたびに、
早く死なないといけないのに・・・と死ぬという行動にいけないことにがっかりしていた。
日本は四季があるから、そこがまた辛いのかもしれない。


季節とは違うけれど、
誕生日前は絶不調。
また年をとってしまう。私ってこの一年何していたの。。。?
とたくさん頑張っていたのに存在を否定していた。
年末も・・。


それが今、四季があって、それに少しずつ楽しめている。

例えば、花火大会やヒマワリ。
別にバスツアーで遠くに行かなくても
近くに咲いている、ヒマワリをみて元気をもらう。

秋になれば、
青山もいちょう通りにいきたいな。
あそこは屋台もでて、とても楽しめる。
大好きな葡萄も食べれたらいいな。


冬がきたら、
大好きなクリスマス。
都内のイルミネーションをたくさん見たいな。
都内のクリスマスマーケットとかいってホットワインでも飲みながら。


もちろん生きているから辛いこともたくさんある。
精神科通院だってこの先も続くだろう・・・・。


けれど、
外にでてみると、
歩いて1分のコンビニまでも、季節を感じることができて。
少しずつ進む季節と
私がしていることが比例するくらい頑張れているわけではないけれど、
こうして少しずつ日本と年を重ねていることで、
また生きれている私も頑張っているねと肯定できる。



しかし・・・・・・
外にでないときっと感じることは難しいです。
テレビで猛暑!!と聞くと感じることもできるけれど、
自分の感覚で実際に感じることが大事なんです。


暑さだったり、青空のまぶしさだったり、
はしゃぐ小さい子どもたちの声。


そんな余裕を感じれないしんどいこともあるでしょう。
私も息をするのもしんどいと叫ぶこともあります。
息をするのもしんどいってって感じですけれど、
本当に息をするのもしんどいほど辛いんですよね。
そういう感覚の人たくさんいると思います。
人には息をするのもしんどければ病院行けと言われました。
(病院行っているけど息をするのもしんどい)


でも、しんどいと言いながら、
寝ながら携帯をいじっているなら
寝ながら自殺サイトを見ているなら、
外で、季節を感じながら携帯いじればいいのではないかと思うのです。


私の家の前、
ちょっとしたスペースがあり、
ここ数年、
よく外でしんどい時こそ過ごしています。
そんな日比谷公園とかに行く余裕はない。
でも携帯を家の中でいじるくらいなら、外でいじった方が、
季節を感じると思うんです。


靴を脱いで、歩くのもよし。(今は暑いけれど)
虫の音を聞きながら過ごすのもよし。
少しずつ、生きるのが楽になってくる。
この世にいることが許せなかったけれど、いつの間にか許せるようになる。


その感覚、苦しんでいる人たちにも伝わると嬉しいな。

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sakurasaku1009 at 18:00│Comments(0)生きる 

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